大麻物語 シーズン2 11話「踊るうどん 」
Y氏の事務所
「ほんだら、そろそろ行きましょうか?」
そう促し席を立ったY氏。
(大麻を売りにきたのだから行かなあかんな)
そう思って覚悟を決めた。
目的地はそこから1分歩いたところにあった。
えらい駅近やな。
僕はそう感心しながら彼と一緒にマンションの中に入った。
何の変哲も無い普通のマンションだった。
どうやらそこは彼の事務所などではなくただの住居だった。
わりと整頓された清潔な部屋で、どちらかというと居心地の良さそうな住みやすそうな部類の、普通の男の部屋だった。
緊張していた僕はすっかり肩透かしを食らったのだが、それにしても普通でよかった。
「何を飲みますか?」
部屋で僕が腰をかけると、彼は僕に飲み物を勧めてくれた。
生活感のあるキッチンに立ち、彼は冷蔵庫の扉を開けて、扉に入った飲み物を見せてくれた。
たくさんのソフトドリンクが冷やされている、ごく普通の冷蔵庫。
「ありがとうございます。それではコーラをお願いします」
Y氏との取引
差し出したコーラを飲んだ僕を満足そうに見ていたが、しはらくすると、急にY氏は苦々しげに語り始めた。
内容は僕たち共通の知人である彼の話だ。
~は(信濃町で僕と取引した人)はアルマーニのスーツなんか着始めて最近、調子に乗ってる。
薬物売買で儲けていい気になっていやがる。
俺が引き立ててやったのに、俺のことは無視して自分だけで偉くなった気分でいる。
面白くない。
ヤクザ組織というものは、なんといっても上の命令は絶対で、下の人間がいくら儲けても上の人間に上納するものと思っていた。
ところがY氏の話を聞いていると案外緩い。
お互いに独立した緩い上下関係のようだ。
そのことが少し意外だった。
でも僕が信濃町の人に連絡を入れずにいたことが、Y氏にとっては逆に好都合だったのかもしれない。
値段を適正に戻して購入してもらえれば、僕としては異存ない。
むしろ願ったり叶ったりだ。
この大阪、どこにでもシャブは居る。
そんなにいいもんなのか?
そんなに儲かるのか?
仕入れ値が一体どれくらいなのか、定かではないが、薬板の売人の広告のほとんどはシャブだ。
1gで3万円、0.5g2万円。
さらに小さいパケに数回分の0.1gしか入ってない物が1万円で売られてたりする。
細かく刻むほど高くなっていくのは大麻と同じだけど、あまりに細かい。
そしてその上がり方がとても激しい。
足元を見過ぎた価格設定だ。
しかもグラム単価がめちゃくちゃ高い。
大麻と一桁違う。
当時の売人にとって大麻なんておまけに過ぎないのだ。
Y氏もご多分に洩れず、シャブの売買をシノギにしているようだった。
そしてどういうつもりか、そのシャブの入手先の情報を、信濃町の人に手引きしてあげたようだ。
信濃町の人は商才を発揮して、Y氏より売り上げを伸ばしていったのだろう。
信濃町の人はY氏よりも羽振りがよくなって行ったのだ。
Y氏は自分を差し置いて、彼だけが派手になっていくのが面白くなかったのだろう。
そういう経緯もあってか、彼から僕の連絡先を上手に聞き出して、僕から大麻を仕入れるつもりで連絡してくれたのだろう。
Y氏の話に相槌を打ちながら、そう当たりをつけた僕はすっかり安心した。
うどんの街「滝井」
彼は見た目の厳つさとは裏腹にとても気さくで話がしやすい人だった。
彼の部屋に向かって歩いる途中、何件かうどん屋さんがあってどの店もとても繁盛していたので気になっていた。
「そういえば、この辺はうどん屋さんが多いですね。特にあの踊るうどんという店はとても流行ってますね」
そう僕が言うと彼は誇らしげに
「そうなんですよ。なぜかこの辺はうどん屋さんが多くてどこも旨いんですよ。特にあの踊るうどんはめちゃめちゃ、旨いですよ」
彼は”めちゃめちゃ”という言葉を強調していうので、僕も
僕も
「めちゃめちゃ旨いですか?」
と聞くと、彼はもう一度
「めちゃめちゃ旨いですよ」
そういった。
「それなら帰りに食って帰りますよ」
笑いながら僕は彼にそう言って席を立った。
家を出る際に彼は僕にもう一度
「めちゃめちゃ旨いですよ」そう言った。
「そういえばどうして踊るうどんというのですか?」
僕は別れ際に尋ねた。
彼は嬉しそうに。
「行ったらわかりますよ」
いたずらっぽく笑いながらそう答えた。
「それじゃ、踊るうどんにいってきますわ」
そう言って笑っている彼に別れを告げた。
案ずることはなかった。
彼は僕から大麻を仕入れたかっただけだ。
いい取引相手ができた。
とても気のいい人で話していて楽しい。
この世界に詳しそうで、彼と繋がっているといい事がありそうな気がした。
しかも滝井は近い。
そんなところにこんな上得意客がいてとても助かる。
最初緊張しただけに、この結果に大いに満足しながらうどん屋さんに向かった。
誰が踊るのか…
踊るうどんはお昼をかなり過ぎているのに外まで行列ができていた。
ぼくは最後尾に並んで、店内を覗き込んだ。
ガラスの引き戸越しに店内を見つめると、厨房の中では大将が凄く忙しそうに働いていた。
麺をゆでて、水を切り、とても大きなどんぶりにドンドン盛り付けていく。
汗をかきながら、まるで踊っているようにテキパキと働いている。
僕は
(なるほど~それで踊るうどんなんだ)
そう思った。
素敵な屋号だ!
でもこれは後で知った話なのだが、名前の由来は僕が考えたのとは違っていたようだ。
そのモチモチこしこしの麺が、「踊る」ような美味しさだからだという。
しばらく並んで、やっと僕は店内に入れた。
カウンターに腰掛け、まいたけ温玉ぶっかけを頼んだ。
初夏のこのとても過ごしやすい日に、踊るうどんの大将だけは、饂飩釜から立ち上る湯気の中、その顔を汗だくにして働いていた。
彼の茹で上げるうどんは輝いて、そして、そのうどんを心待ちにしていたお客さんは一心にその麺を啜っていた。
僕のうどんが来た。
麺をすすった。
踊るような美味しさというより、めちゃめちゃ美味しいといった方が僕にはしっくりきた。
サクサクの天ぷらとモチモチのうどん。こってりした温玉。
この三つの食材がそれぞれその存在を主張。
しかしカツオの効いた出汁が全体をまとめる。
真剣な表情で、饂飩をもくもくと茹で上げる大将の所作に眩しく見とれながら、僕も一心不乱にうどんを食べた。
タレと卵が染み込んでベチャベチャになっても、それが美味い舞茸の天ぷらを最後に片付けて、うどんを食べ終わった僕は、大将に心から礼を言って店を後にした。
懐も腹も一杯になった。
さあ。大麻たちの待つあの工場へ帰ろう。
滝井から工場までは下道で30分ほど、晴天で気持ちのいい午後、窓を全開にして車を走らせながら僕は今日の取引を振り返った。
走りなれたこの道を気軽に行って帰ってこられるだけでも、Y氏は取引相手としてありがたい。
滝井も大阪市内ではあるが、環状線の中まで行くのと、その外側とでは僕の精神にかかるプレッシャーが違う。
そして滝井には、饂飩を食べる楽しみもある。
都会に行くほど警察官の職質(職務質問)も多いという。
大麻を配達している時に車を止められて検査されたらアウトだ。
とはいえ、僕は生まれてこの方、一度も職質にあったことはなかったが。
招かれざる客
会社の大麻部屋に戻り、辞書タイプのステルス金庫に現金をしまいこんだ。
泥棒よけのこの金庫だが、この部屋にまさか泥棒が入ってくることはないだろうし、万が一、入った来たとしても、別の意味で、当の泥棒がびっくりするだろう。
そんなことを考えながら、少しづつ札束と呼べるくらいには成長してきた、汚いお金の束を、ニヤニヤしながら金庫の中に仕舞った時、急に開花部屋のドアが開いた。
「こんにちは〜荷物の受け取りお願いしま〜す」
(!)
まずい!開花ブースのパンダシートを開けっ放しにしている!
僕は0.5秒で行動した。
辞書金庫をしまった本棚から、ダッシュで彼の元に走った。
距離にして約2メートル。
学生時代アメリカンフットボールで鍛えた、この出足が頼りだ。
一瞬で彼の前にラッシュ。
彼の視線を遮るように、ブロッキングした。
僕のあまりに激しい行動に驚く彼に構わず、ガブリ寄ってドアの外に押し出した。
「あ、今取り込み中なので、下の者に聞いてもらえますか?」
僕が引き攣った笑顔でそう話すと、
彼は僕のただならぬ剣幕にキョトンとした顔でこう答えた。
「あ、あのう事務所に誰もいなかったので…」
「ほな、僕が受け取ります。さぁさぁ、行きましょう」
そう行って彼を下の階に促した。
彼の様子をつぶさに観察する。
特に勘ぐっている様子はなさそうだ。
僕はフォークリフトに乗ってトラックに積んでいるパレットを下ろしながら、アシストしている彼の微妙な表情ひとつ逃すまいと横目で チラチラ様子をうかがった。
彼の表情には全く問題ない。
それらしいそぶりは全くない。
彼が荷物を下ろし終わって、僕は彼の差し出した伝票に受領印を押した。
「毎度〜」
彼は一見何事もなかったかのように普通にトラックに乗って去って行った。
さて。
当時の状況を正確に振り返ろう。
彼は確実にパンダシートの隙間から、煌々と輝くHPS1000Wの異常なまでに黄色い光と、その下で青々と茂っている大麻を見たはずだ。
その時間5秒ほどか。
幸い開花して2週ほど、それほど匂いは気にならないが…
一体どうする!
彼は見たのか?それとも目に入っただけなのか?
もし見たとしたなら、
それと気づいたか?
それとも気づかなかったか?
はたまた何も考えていないか?
最悪、気づいたとして通報するか?しないか?
ああーーー痛恨の極み。
一体どうする。
続く…
この物語はノンフィクションではありません。実在の人物や団体などとは一切関係ありません。悪しからずご了承ください。