大麻物語 シーズン1 第10話 「プッシャーS 後編」

大麻物語

武勇伝

その後もしばらくSの武勇伝を聞きました。

彼は福岡出身で、元々ホストをしていたらしいのです。

ホスト、なんていい仕事。女にモテて金も儲かる。

心がお花畑の僕はそんな風にホスト稼業を見ていましたが、Sの話を聞くと思ったより体育会系の汗臭い世界でした。

決して男前だけでは上に上がれず、何よりガッツが物をいう世界のようです。

失礼ながらジャニーズ系からは程遠いSでも、当時はかなり頑張り上り詰めたようです。

バカみたいに酒を飲むのが嫌になって、辞めたそうですが。

なかなかの人気者だったようですが。


シャブの話もいろいろ聞きました。

長瀬君と知り合ってから、個人的興味からシャブについても既にネットで色々調べており、予備知識はかなり仕入れていました。

だから幸い話にも彼の話についていくことが出来ました。

彼は日本一シャブが簡単に手に入る街西成。

その街角に立ってシャブを売る『立ちんぼ』から、そのプッシャ人生をスタートさせたのです。

『立ちんぼ』って凄くないですか?

街頭に立ってシャブを売る!

究極のイージーマネーですね。

男の立ちんぼも女の立ちんぼも!

当時の僕は純粋に興味の対象でした。

僕には到底真似ができませんから。

21世紀の日本にも、こんな人たちが存在するのですよ。

その時彼は、大勢のプッシャを抱える大きな組織の末端として大いに辣腕を振るい、瞬く間にグループ内トップの売り上げを果たし、今では自分が親方として子を抱えるまでになったと豪語していました。

話の確度はさておき、その内容のおもしさ、リアルさに引きこまれました。

親方からシャブを割り当てられ、決められた区画の街角に立って一見さんやお得意様にシャブと注射器を手渡しする。

同業との小競り合い。ヤクザの話。ヤクザよりヤクザな西成警察のデコ(おまわりさん)とのイタチごっこ。

リアルな商売の手順や売り上げ。末端価格。立ちんぼの1日の売り上げの凄さ、伝説的な立ちんぼの話など、聞いていて飽きることがありませんでした。

Sは己の欲望に素直に生きてきたようです。

僕は己の欲望を抑え周りの信頼や社会の評価に応えるために、ストイックに生きることが正しい生き方だと思っていました。かっこいいと思っていました。

己の欲望に正直に生きることは自分に正直に生きることなんだろうか?

その時の僕にはわかりません。

ですが目の前にそうしてきた男の存在があります。

そしてこれから、試しにそうやってやろうとしている男がここにいます。

これまでの自分のやり方では報われることが、あまりに少ないと感じていたからでした。

このままでは何も体験しないで老人になり死んでいく。

その恐怖に比べたら、自分に嘘をつき、人を欺くのも方便なのです。

ましてや法を犯すことなど物の数ではありませんでした。


僕がしきりにうんうんと感心しながら彼の話を聞いていると、彼は突然おかしな質問を僕に投げかけました。

「田中さんはシャブやらんの?」

「やらん」

そういうとSは

「やってるように見えるけどなぁ」

(あんなもん、やるわけないやんけ)


そう思いながら、時計を見るともう10時を過ぎています。

Sの方も複数の携帯が鳴りっ放し。

面白い夜だったけど、そろそろ家に帰らないとカミさんが心配するので、

「今日はありがとう!これからもよろしく頼むわ」

短い間にとても親しくなったSにそう言って席を立ちました。

お互いもう少し話したかったけど、今日はお開きです。

結局彼がなぜプッシャになったかは詳しく聞けずじまいでした。

再々入電

何かやり遂げた感を胸に、ホテルのエレベーターを降りてタイムスまで歩いて帰る途中、またしてもSから電話が、

「あと10いける?」

(またか、しかしすごいなこいつは。取りに帰るしかないな)

「いけるよ。でも12時前になるで」

そう答えた僕はまたしても奈良の工場にとんぼ返りです。

(この稼業もなかなかハードやな)

そう思いながらも車飛ばしてまた奈良へ。


夜中に何回も工場を出たり入ったりしてると従業員に怪しまれます。

前回よりさらにコソコソ、絶対に見つからないように侵入して、大麻部屋へ。

また同じようにバッズをパッキング、コンビニ袋に入れて出発しました。

工場の機械が故障してて、帰るのが1時前になるかもわからん。そうカミさんに電話を入れました。

「お仕事頑張ってね」という声を、後ろめたい気持ちで聞きながらハンドルを握って大阪に向かいました。

そしてSに「今からアパホテル向かうわ」

すると、「そっちちゃうねん。鶴橋におるからそっちにきて」

(!)

もう移動してるようです。

本当に忙しいやつです。

鶴橋

日付が変わる前に、鶴橋の手前まできました。

韓国人街で有名なあの鶴橋です。

腹減ったなぁなんて思いながら千日前通りを鶴橋の駅を目指して走行します。

Sに「もうすぐ着くで」と電話しました。

彼は駅ガード下、手前にいるらしいのです。

あと少しなのですが、なかなかたどり着きません。

タクシーもいっぱいで車が動きません。

歩道には、終電時間が迫ってるのにかなりの人出です。


自分がこんな稼業をしているからか、街をふらふらしてる連中を見ていると全員ヤク中に見えてきます。

しかしそれはまんざら外れた想像でもありませんした。

彼らは酒というドラッグをキメているのですから。

臭い息を吐きながら大声を出している若者。

赤い顔でフラフラ歩いているお年寄り。

座り込んで嘔吐している女性。

通りを、様々な酔っ払い達が我が物顔で闊歩していました。

(大麻吸ってニコニコしてる方がよっぽど平和で綺麗やんけ)


そんなことを考えながらも、路駐しているたくさんの車の中からかなり先にあるSの車を探し当てました。

(しまった。車を見られたくないな)

そう考えた僕は、かなり手前で車を止めて歩いて行こうと、とすぐさま駐車スペースを探しました。

(物を渡したら今度はさっさと帰ろう)

びっしり違法駐車されてる道路の左車線にわずかな隙間を見つけ、何とか僕の車を滑りこませることができました。

Sの車を100メートルほど手前で発見できたので、彼の車との距離はかなりあります。

(これなら見つかれへんやろう)

そう安心して、バッズの入った袋を持って車を降りました。

相変わらず、焼肉屋の匂いが街中から漂っています。

匂いは記憶を鮮明にします。腹をすかせた高校時代を思い出しました。

高校が上本町にあったので鶴橋周辺は僕にとっては庭のようなものです。

部活で疲れ、腹をすかせて鶴橋の駅を歩いてると、街全体から香ばしい焼肉の香りがします。そして、育ち盛りの高校生の胃を激しく刺激するのです。

毎日この攻撃に耐えて僕は生きてきたのです。

とにかく鶴橋に来るときは腹が減って堪らないのに食えないというシチュエーションが多いです。

それは今回も同じでした。

BABY IN CAR

早く渡して金を受け取って帰ろうと思いながら、彼の車を覗き込みました。

すると、生まれたての赤ちゃんが後部座席でスヤスヤと眠っていました。

嫁同伴で初めての大麻取引に現れたかと思うと、次は大阪のド真ん中で路駐した車の中でシャブを打ち、そして最後に『こんばんは赤ちゃん』

呆れ果てて言葉もありませんでした。

隣には相変わらず無愛想な彼の嫁がこれまた不機嫌そうな顔で携帯をパチパチしています。

そして当のSは運転席に踏ん反り返り、大声で電話していました。

僕の姿を認めたSは電話を切り、助手席に僕を招き入れてくれました。

「子供か?」

そういうと、

「彼はそうや」と言って何事もなかったように金を僕に手渡してくれました。

僕は何も言わずに物を渡しました。

悪事に加担したような嫌な気持ちになりかけましが、その気配を振り払うかのように、猛ダッシュで車に戻り、急いでエンジンをかけ、家に急ぎました。


あの子は大人になったら一体どんな子になるんだろう?

子供を連れて薬物売買か?というより家族ぐるみで薬物売買か?しかしいろんな奴がいるもんやな。

物心ついた時、あの子はこの状況をどう捉えるのだろう。

官僚の息子に生まれて大事に大事に教育されてそのまま東大にストレートで合格するような子もいる。

日本に生まれて窮屈な子もいればベルギーやフィンランドのようなヨーロッパの先進国での伸び伸び生きている子供もいる。

そしていまだに戦争している国の子供たち。貧困にあえぐ国々の子供たち。

今生きてるこの地球で、同時にいろんな子供たち生きて成長してるんやなぁ。

そんな当たり前のことを、つくづく思い知らされた1日もようやく終わろうとしています。

愛しの我が家

完全に寝静まった住宅街を抜けて、やっと家の前に着きました。

車庫に車を止めて玄関を開けました。

「おかえり」

カミさんが汚れのない笑顔とコロコロした声で僕を迎え入れてくれました。

僕は心から安堵すると共に後ろめたい気持ちを押し殺して。

「ただいま〜。なんや起きとったんか。寝てたらいいのに」

そう言いながら僕はいそいそと家の中に入って行きました。

もくもくと、湯気が出ているおでんが、準備万端整っている食卓に、やっと辿りつくことが出来ました。

カミさんに長かった1日の作り話を聞かせながら、僕は現実の今日を振り返っていたのでした。

彼女を食わすために僕はやっているのだと己に言い聞かせながら。

つづく。

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